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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2003-02-06 第156回国会 衆議院 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会 第1号

先ほどお話しございましたように、明治憲法では、プロシア憲法をまねて、天皇が権力と権威、両方とも握るようになってしまった、そして陸海軍統帥権を持ってしまった、先ほどやいばを振りかざした天皇という表現を使われましたけれども、ここが間違いのもとであった、そんなふうに私も思います。  

森岡正宏

2001-12-06 第153回国会 衆議院 憲法調査会 第5号

あるいは、プロシア憲法大日本帝国憲法にして、日本化して、日清日露戦争に勝って国民共同体を建設した、そういう同化力。今また、同じような同化力が五十年たってこの民族に出てきたことを私は喜ぶものであります。  それで、最近の政治の事態を見るというと、憲法的課題が現実に出てきておる。法的問題もあるし、政治的問題もあります。  一つは、ニューヨーク・テロにかんがみた集団的自衛権の問題であります。  

中曽根康弘

2000-12-07 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第6号

統帥権は、これもやはりプロシア憲法そのままです。  それで、この統帥権を入れたことに当時の人たちが一番賛成した一つの理由は、西南戦争という非常に苦労の多い戦争があったものですから、とにかく軍は天皇という名前で統べてもらわなきゃ困るなということも加わって、統帥権は認めたと思うんです。  ところが、さっき申しましたように、内閣がないものですから、必ず天皇直属になるわけです、憲法の中の規定は。

渡部昇一

2000-04-05 第147回国会 参議院 憲法調査会 第5号

明治憲法外国憲法の、特にプロシア憲法の影響を受けていると。  けれども、伊藤博文とともに憲法制定に携わった井上毅という人物は、十七条憲法令義解延喜式大宝律令など幅広い日本法制史に関する研究も行っておりました。このように明治憲法は、国際社会における法思想法体系という横軸、そして日本法思想法体系という縦軸、その二つの視点から制定が行われたのではないかと思います。  

星原大輔

1982-08-19 第96回国会 参議院 外務委員会 第14号

やっぱり近代国際関係学における方法論というものは、流れのプロセスの実証的なデータを基礎として問題が論ぜられるのであって、古いプロシア憲法的な、明治憲法的な条文解釈によってやっているような陳腐な法の取り扱いというものはもはや軽視されておる、軽視されておるというのでなく、学問的価値なきものと思われているのです。

戸叶武

1982-07-01 第96回国会 参議院 外務委員会 第12号

天皇の名によるところの軍隊、宣戦布告なりあるいは軍事費ビスマルク憲法以上に、プロシア憲法以上に、国会が手を入れることのできないような一つのブレーキをかけて井上馨やあるいはあの取り巻き連中とつくったわけで、進むことも退くこともできないで日本無条件降伏したのは、どこに原点があるのです。だれがしりをぬぐったのです。天皇は気の毒です。民族統合の象徴としての存在ならばそれなりの意義がある。

戸叶武

1982-04-22 第96回国会 参議院 外務委員会 第8号

そういう形において進むことも退くこともできなかった明治憲法ドイツプロシア憲法よりも、ビスマルク憲法といわれるものよりももっとひどい、神がかり的憲法によって、無条件降伏にまでいってもだれも責任を持てないようなぶざまな無責任体制憲法をつくり上げ、天皇をして慟哭せしめて、人間天皇を宣言し、その上で国民に訴えて再び戦争はしないという誓いを立ててつくったのが、敗戦によってもたらされた日本平和憲法です。

戸叶武

1982-04-01 第96回国会 参議院 外務委員会 第3号

相手の退路を遮断したからでありまして、この軍の偏した一つの物の考え方というもの、無条件降伏への敗戦原点はそこから発しておるのであり、明治憲法における伊藤博文という人は相当な人だが、やはり明治十四年の政変を中心として大隈重信福沢諭吉、こういう進歩的なイギリス風憲法をつくり上げようという考え方にクーデターを与え、そうして、余り利口でないがビスマルクを神格化して尊敬していたドイツのカイザーのプロシア憲法

戸叶武

1980-11-13 第93回国会 参議院 外務委員会 第4号

伊藤博文明治憲法を、ビスマルクに心酔していたウィルヘルム一世に示唆されてあの超帝国主義的な憲法をつくったばかりに、イギリス憲法流れ日本にあったのにそんなことを顧みないで、プロシア憲法よりも超帝国主義的な憲法をつくったばかりに、日本戦争に入ってからもこれを終結するだけの政治的な手も打てず、どうすることもできない、収拾することができずに無条件降伏の恥ずかしい屈辱をなめてきた原点というのは明治憲法

戸叶武

1979-05-22 第87回国会 参議院 外務委員会 第11号

○戸叶武君 田中さんも私も元号問題に対してとげとげしくとがって物を言っているんじゃありませんけれども、日本における官僚並びに右翼の人々の考え方には古いプロシア憲法伝統が根深く入っておりまして、イギリスにおける成文法から慣習法に、一つ一つの出来事をめぐっての解決によって年輪を刻むというような常識的な一つの前進というものが、どうも形式的な法制化でなけりゃ承知のできない体質に、再びプロシア憲法に戻るような

戸叶武

1964-03-13 第46回国会 衆議院 内閣委員会 第9号

やはり日本だって、明治憲法君主主権憲法だ、プロシア憲法をまねしたのですから。それが何らかの機会人民主権憲法に変わるべき運命を必然に持っていたわけです。それが敗戦という事実によって、そういう機会において、初めて日本でもほかの国と同じように人民主権憲法制定せられたわけです。そこで、私は、伝統を重んずることは、何も人民主権憲法に反するものではないと思う。イギリス憲法がそうです。

稻村隆一

1956-05-07 第24回国会 参議院 内閣委員会 第38号

そしてこちらでもロイスレルその他が相談に乗ったのでありますが、大体プロシア憲法の直訳であります。万世一系の天皇というような言葉、カイゼルという言葉があって、多少違いますけれども、そういうところが違うだけであって、まああとは大てい同じことである。そういうのがやはり日本にはなかったのですから、憲法思想が、遺憾ながら。

鈴木義男

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